2021-2000

小林健二個展小林健二個展小林健二個展小林健二個展小林健二個展


小林健二個展小林健二個展小林健二個展小林健二個展

小林健二個展小林健二個展

2019transparent-layer from Kenji Channel on Vimeo.


XEDIA
ケノーランドは絶対年代として、新太古代に存在していた超大陸である。 その後大陸の移動の分裂接合によって形成と破壊を繰り返しながらも、一部は近現代に至ってもなお盾状地(じゅんじょうち)として残っていた。この台地が最初に人間の歴史に記されたのは1612年にオランダの五人の登山家たちによるものだった。その台地の四面がほぼ垂直に切り立っているために当時は山頂部の状況は観測できなかったが、1860年代に地上より測量されおよそ標高3500m、四辺がそれぞれほぼ7kmである事が確認された。1930年代の偵察機及び空中写真術の発達により粗方の地図の作製を開始したものの、作業はその上底部が一年の9割近くを濃霧が立ち込めている事に依って難航し期間を要した。但し一部に800m位の滑走路として使用出来そうな平坦な場所が見つかった。当初それは光を強く反射する事から不安定な氷原とも考えられたが観測の末に着陸可能な場所として判断される。その後世界情勢の不安などの諸事情により1950年代初頭まで研究は中止されていた。1955年フランス及び英国によって結成された第一次調査隊によって辛くも着陸に成功したものの表面の薄雪により機体が安定せず、当日中に下山を余儀なくされた。その際その高地の滑走路を「奇妙な場所」としてパイロットたちはXedia(キセディア)と呼ぶようになった。1957年の第二次調査隊はそれまでの情報を精査していた為、登頂着陸に成功し38時間に及ぶ調査を終えて無事に帰還した。永い間その聳え立つ架空台地は外界との遮断によって、独自特別な生態系を持っていることが報告された。1960年代、各国の調査隊は発達した航空機、高山装備によって続々と新たな種の動植物及び鉱物を発見し、それらは一部の機関の耳目を集めたが資源確保、生態系保全の観点より1965年3月4日より公開を前提として、国連主導のもとWWF(世界自然保護基金)なども参加して本格的な調査研究が始められる。それにより1967年5月までに動植物等およそ6300、鉱物70余の新種が報告された。 しかし世界を最も驚愕させたのは人類、もしくはその亜種によって製作されたと思われる土器様の発掘物の発見であった。その発掘場所は暫時滑走路として使用していたキセディア地区であった。 発見のきっかけは着陸後の機体を整備点検していたパイロットが、航空機のタイヤの轍の下に氷のような透明な部分を見つけ、その下に何かが埋まっている事を知らせた事から始まった。 キセディアは直ちに規制され、急遽IARF(国際考古学研究機関)よりスウェーデン隊、日本隊が派遣された。これら出土品には特徴があり第一には、大きさが約10mmくらいから60mmくらいに収まり、分布状況が1.25mの正方面に意図的に配置されていること。そして第二には放射性核種、蓄積線量を検出できず、さらに熱残留磁気、地心双極子にも応答せず、これらの製作年代はまったく測定できないということだ。また、これらの発掘状況の全体像が把握しづらかったことは、この脆弱な人工的製作物は約20cm石英状硬透質の珪酸層に堅く包まれている状態にあったため、目視できても対象物を破損せずに回収することが技術的に障壁となり、一般には全ての状況は開示はしないまま次第に研究者の極度の体調不良、遅疑逡巡、意欲減退、各國の成果より資金不足及び世界情勢が再び混乱した事といった理由から1972年までに各国によって報道管制なども敷かれ、半ば強制的に再び「前世紀の闇中」にまで押し込められ忘れ去られていったのである。 (以上は大略で他は専門的な分野での仔細な報告となっているが判りづらい故に省略。) 共に付されている当時の報道の断片などを見ると、今にして思えば、この終焉には謎や疑問が多く残った。そもそも世界的な規模によって始められた研究計画がこの様に人心から消え去るものであろうか。そして特殊な考古学的発見に要因すると見られる一連の出来事が、他の貴重な諸々の研究までも中止に追い込んだという事なのか?確かに考古学隊のみ幻覚を伴う意識障害が重症化したと言う事柄は、その標本に直接触れた者だけの事であり、標本に付着した有毒物質や未知の原虫、細菌の感染も疑われていたからなのか。すべての研究に携わった者たちの沈黙に加えて、大国の政治的関与も囁かれる中でもあったと云う事だ。

ノートの断片よりー

ーかつてここに居たものたち・・・
硝子の大地に幻影を封じて
自らは何の心残りのないかのように
跡形もなく消え失せてしまった。
かつて 人格を持つ唯一の神などを求めず
岩や山、木や森、海洋を崇敬していたのだ。
大宇宙と意識を共有し
流れの中に記憶の種子を残していった・・・

宇宙には目的がある。
人間には計り知れない目的だが
それは穏やかな川の流れのようなものだ
それらは身を浸したとき、争いも競うことも不要になって
それほど多くを持たないまでも 
正当に命をまっとうできると伝えている。
小林健二

小林健二個展小林健二個展

小林健二個展

ー朝の硝子ーMorgonglaz

春の要素が風に運ばれ、良い香りがしはじめる。
すると ついさっきまで置いてあった壜や皿やコップなどの虚ろな隙間に
朝のひかりが充蓄されて硝子のような姿を顕してゆく。
小林健二
(案内状に書かれた文)

小林健二個展

IYNKUIDU-TFTWONS-review from Kenji Channel on Vimeo

IYNKUIDU TFTWONS-イイヰンクイドゥ トゥフトゥウヲンズ-

どんなにか水蒸気はいいだろう

普段は見えず こくこくと空の中に現われ

雲になり 雨となって地上に降り下りる

それぞれのこくこくが 生まれて消えてゆくなら

それに苦しみもともなわないなら

どんなにか水蒸気はいいだろう

そんなふうにして この世をながめられていれるとしたなら

水でいるときなど 泳ぐものたちと並泳したり

花畑の中では 露が一面にビロードのようについて美しく花弁を被って

花たちも笑っているような  その横をすりぬけて上昇したり

自分もかつて人でいたときがあったことを 思い出して

川面と並んですべるときには すべてのことばを忘れている

小林健二
(案内状に書かれた文)

小林健二個展

Nocturnal-Saturiun2015 from Kenji Channel on Vimeo

Nocturnal Saturiun-土星夜

ある日
夏の日
積乱雲がギラギラして
黝い程に空はくっきりとしていた
子供たちは夏草がところどころに邑う
廃ビルのコンクリートの荒れた敷地の
あちらこちらに佇んでそれぞれの夏休みを
心の中でとぼとぼと歩いていた
誰かが言った
「遠くが見える
「とても遠い風景が
「とても近くに…
まるで聞えもしないのに
低く強い振動が伝わってくるような
風が見える
おそろしいくらいに
遥か木立の木の枝が
激風に耐えているのが見える
それらの木の枝が
速く細く振動して
輪郭が透き色になる
空体の速力のため
その鋭い先端から飛行雲まで発生している
木の
その組成物が
ひとつひとつ千切れて
風の中で流蒸気となり
白く糸のような物質が
ともに反応して限りない世界へと
繋がってゆく
闇の眷属と化合しているのか

狭角の
とても狭角の尖った視野の
気の遠のいて行く…

そんな日の夜だ
土星が来るのは


小林健二 (案内状に書かれた文)2015

小林健二個展

魔女たちの遺品
1
万聖節の前夜など準備に追われて魔女たちは忙しい 帽子やホウキ 黒い外套 ひと揃いは数があるのだ まだまだあるワシ鼻の付け鼻 付け爪に付け黒子
—悪そうにするのだって魔女の仕事の内なんだー
「使い魔」たちも喚ぶだろう きっと強くて怖いヤツラだ 出掛けには鏡に向って 目を剥て嫌らしく笑う練習だって欠かさない 
万端仕度は整って「サァ!」という時でさえしばしもう一度ふりかえり おもむろに大ナベをひっくりかえす
もしも空巣に誰かに入られたときでさえ「やっぱり怪しい何かを煮ていたぞ!」と叫ばせるのは趣味の内

「本当に?」「魔女なんているわけないさ」

お伽噺や童話の中の世界とは本当はけっこう複雑なんだ 実は何時も どんな場所にも魔女たちは確かにいた そして今でさえ現れつづけてさえいるものなのだ

2
人の世は力の構造で成り立っている 人の歴史は力の有るものたちが誌るしてきた 
魔女たちが醜い老女と云われているのも そこには虐げられたあるゆる要素が反映している なにか報いがやって来るのを恐れの檻に閉じ込めたのだ

人はもともと弱いものだ
まして 祈りを求めるものたちはいつだってたよりない
かつて 風の中のしめり気や空の色 森の冥さに湖の波
ほんのわずかなささやきさえ この世に受けた己の生をつごう良く取り替えられないものたちは 天然の中のつぶやきを 太古の世から聞きのがすまいと目を瞑り 心を静め 直覚を研ぎ澄ませて来た
しかしそれは決して楽なことではなかったのだ

人の世は少しづつ便利になった
あらゆるものが手に入れられる そんな錯覚が知らず人の世にしみ込んで それによって失なうものがあることに気付くヒマさえ失ったのだ
かつて聞こえた天然の情報は不通となった 
多忙と喧噪がそれらに入れ替わり
毎日100人と会話して100通の連絡に疲弊して 何かもっと他にないものかとがんじがらめの人の世で 少しは空気が良いものか? 顔をゆがめて階段を昇ってゆく
「いったい何処に幸せの甘い香りの花々は 私を待っているのだろう」

3
かつて痩せた土地の農民たちは見かけていた
重ね着の黒い衣に身をつつみ 隠れるように細々と世を渡る卑しく思える人たちを農民たちは知っていた それらが自分たちより敏感に空や大地と話せることを 
だからときどき聞いてみたのだ 風や雨の伺いを 
農民たちはひとしくみんな貧しかった しかしそれらはもっと貧しかった
だから少し実りがあるときに 少しばかりの食料を与えたりもした

あるヒデリがひどいころ 農民たちはあきらめはじめていた 
もう雨を待つしかなかったのだ
するといつの間にか彼らの傍らに 黒衣のものは近づいてきた 
そして多くの飛べないカラスや 病んだ猫らもつれてきていた
めずらしいことだった 農民たちはもう何も与えるものがないと肩をすぼめた 
するとどうだろう そのものは顔のおおいもとり上げず 不思議な聞きとりづらい言葉のようなものを唱えはじめた
「…私は草 私は石 どんなに踏まれ叩かれても辛いことはないのです でも食べるものがなかったら私はとっくに死んでいた…… 私の体はそのことをけっしてわすれていないから…」

その独特なひびきから長老たちは幼いころ聞いた雨乞いの歌を思い出していた

黒衣のものの背後には気付かないうち すでに大量の枯木が集んである 
そしてそのものはその枯木に火を付けて すぐさま そこに身を入れてしまった 
誰一人近づけもしない
業火の炎はまさに 天に届く勢いだった
その大きな熱は大気の中にしめり気を呼び雲をつくりはじめてゆく 
まさに天然の現象だった 農民たちはあらゆる無力さを感じはじめていた 
皆黙り ひざまづき あるものは帽子を胸に当てていた 自分たちと同じくらい貧しく弱いものの死に それぞれがこころの中で希っていた 

—もしあの世があるなら そして後生があるならどうか哀れな魂よ どうか温かであってくれ!どうかおなかいっぱいになって下さい!—

陽に焼けてしわだらけの民たちの頬に一しずく伝えおちるものがある

雨だ
雨が降りはじめたのだ
農民たちは救われたのだ    まさに恵みの雨だった

人々はその焼き払われて すでに灰となってしまったものを それぞれのからだにこすり付けながら このひとつの犠牲のことを忘れまいとこころの底にきざみつけた

世界のいたるところ そして いかなる時代にも 歴史の上には表れないものたちがいる 
それこそが魔女たちで 魔法とはただ命とひきかえに祈ることができることであったのだ

この目には見えない尊い形見を
誰知らずこう呼んだのだ

魔女たちの遺品と

小林健二
(案内状に書かれた文)

小林健二個展

結晶界

結晶界は累系12界の中で地球上では冥府代(Hadean)から前始代(Eoarchean)にかけて発現されたとされる界(Kingdom)である。

地球野、内惑星帯、銀河太陽系。 本来この別け難い簇続する現象は、人間による生命理解の標目として項辞されている。 また、結晶界は、3状、16亜門、216属、11万9千6百24種の分領域で象体区分されている。
しかし、それらは単に学術的分類に過ぎず、宇宙は「非物質」と「物質(反物質を含む)」に別園され、物質園は10の35乗に分類されるという考えもある。

意志(Will)、想い(Thought) 等の語彙は、物質の本質であって、光量微子に至るまで、物質を有するもの、これ即ち生命である。

過冷却状態のイオンの分子間引力は、物質化の残裔力としての核力の影響であり、電磁気力は物質(生命)の活動の反射より生じる。また物質がより多く質量化するとき、時間との速力の間に生じる重力はもっとも全体的である。 これらは「力線」として相互作用するときにおいてのみ「非物質」となり、それらは物質、つまり生命の言語である。

ーパイロテシウス「世界」よりー
(案内状に書かれた文)

小林健二個展

 

小林健二個展

小林健二個展

小林健二個展

小林健二個展

小林健二個展

STILL


それはいまだ立ち向かっている

争うのではなく 競うのでもなく

ただ直向(ひたむ)きに待っているのだ

数千年の時代を経ても

明かされることのない この世の

行く末を遠く見つめている

困難と希望が明滅する

その所以の兆しを見逃すまいと…

人の世はこわれやすい

人自身の来歴もゆらめいている

拙いこころの細き行方よ

人の世の しかしそれは知っている

そこが 祈りの場所ということを

疾(と)く超(こ)よかし 真秀良(まほろ)なる

霊(ひ)の食(お)す 雅(まそ)し このうつしおみ

しなめいてあれ 水脈衛石(みおつくし)こころ尽くして

幸(さ)くませ 清(すが)し 手向けし いのりに愛でて


ー早く乗り越えてください 本来であれば  人智の遠く及ばないすばらしい場所であるはずなのに  
穏やかなままでいてください  すべてのこころを尽くして  幸せを願う無垢な祈りによってー

2011年4月 小林健二
(案内状に書かれた文)

小林健二個展

小林健二個展

小林健二個展

PERSPY-ガラス体の日常-

ガラス体の日常はとても穏やかだ

その世界にはこわいものなど何もない

日々毎日がウキウキしている

刻一刻がワクワクしていて日常的に嬉しいのだ

ガラス体の世に終わりはなく

只春のあけぼのから宵の空中

そして神秘で透明な真夜中には

少し発光したりする

ガラス体の日常はぼくらの世界のすぐそばを横切っている

小林健二
(案内状に書かれた文)

小林健二個展

小林健二個展

小林健二個展

小林健二個展

CRYSTAL ELEMENTS-クリスタル エレメンツ-

トホ キ
ワ タ ツ ミ ノ
ト ヨ ハ タ ク モ ニ
カ ゲ ロ ヒ テ
ク ガ ツ ミ ノ
イ ソ ノ
タ ダ ナ カ ニ サ ク
ヒ ト ツ ハ シ ラ
カ ガ ヤ ケ ル ヲ
ソ ノ マ マ ニ
ト コ ヨ カ ク リ ヨ
ソ レ ラ ノ ク ニ ノ
ヨ ウ ミ ク シ ビ シ
ク リ ス タ ル
サ キ ク マ セ
オ モ ヒ サ ク ヨ ヒ
コ バ コ ニ
フ ウ ジ
ハ ナ レ シ
ミ ヤ コ
オ モ フ
イ ロ イ ロ

小林健二
(案内状に書かれた文)

小林健二個展

妖精の場所

1
妖精たちはときどき絵に描かれたりする —
たとえ誰にも見る事はできないとしてもー
それらはたいてい小さく 翅のようなものを持ち
そしてかわいい
ときにまるで指揮者がつかうような魔法の棒を携えているが
それは針葉樹の葉先などである

あるいは良く縫製され仕口も特別製で うつろうような夢色の材質によって出来上がっている
そんな風のような服状のものを身に纏いそれらが飛び去った空中には 暫くの間燐光する鱗粉によって 軌跡が残ったりもする

「本当に?」「妖精なんているわけないさ」

日常 人間にとって何もかも受け入れ 容易にすべてを信じるためには あまり智慧は必要とされず 高い知性はもっぱら疑いを持つためにその要を成す
つまり何でも信じるということは 多かれ少なかれ間が抜けて見られることでもある
でもその童話じみた子供っぽいこれらの儚い存在を 信じていることが無意味であると いったい誰がその咎めを受けるというのだろう    

2
人の世は辛い 人は人によって傷つき また傷つける
そして人以外のすべてのものに対しても
人は そのこころの中で幼い頃から正しく美しい世界を夢みる特性を天然によって太古より賦与されている
しかしその変り易い瞳の輝きは 顕現した世界のみを信じるものたちとの 他愛なき接触によって いともたやすく変性しれゆく

いつの間にか人の世は万物を支配することを望み それぞれの神の名のもとこの世を奪い合う
人の世は一見便利となり またそのために新たな苦しみも生まれい出る
生命力が満ちて 自身を強いものと信じられるとき
そこに「妖精」などが必要でないばかりか その話題はずいぶんと面倒なことになる
何故なら そんな手弱きものたちについて考えることは 自身の生活の速力に影響を及ぼしかねないと考えるからだ
強いものは自分を信じそして愛しているから

3
でも人は傷つき また老いる 弱いものへの道を選ばざるを得なくなつ時がくる
時には病により あるいは不慮の事故によっても 人の世の側に立ち止まるとき 人は多くのことに気付かされる
それほど遠くなく必ず訪れる自分という個体への一つの終末を しかしまた自分の中に遺伝子より深い処で受け継いできたことを少しづつ思い出す
幼い頃の本当の自分と向き合う時間 思春期のような真直ぐなこころと再び出合い 「この世とは何か?」 「本当の幸せとは?」「私は誰で何故此処にいるのか?」 人は弱くなってたくさんの問を思い出す

そんな夜 あるいは朝 それぞれのこころの隙間から仄かなひかりが 風に運ばれる植物の種子のように現れてくる
それらは いかなる勢力でも生命体でもなく 超自然的な生きているすべての生きものの希みなのだ
極大なこの星の時間の中で それらは善意と希望によって生成された一つの現象 人はそれら目に見えない存在を本来知っている 人の造った誰よりも強く偉い宗教の神とは違う あえかでたよりないそのものたちを 海や山 空や河 花や石にさえ精霊たちを発見し 敬意をもってうやまってきた
ーそよ風でさえ そのものを吹き飛ばしそうなくらいなのにー 想像の中で正直になりさえすれば 人はそれらのものに美しい声や姿を思い抱き 可愛らしい衣装を着せ 輝くような喜びに包まれているものを信じたいと願っている
それらこそ「妖精」で人によって希われたもっとも弱く美しいものたちなのだ
そして その壊れやすい存在を求め守り続けている「妖精の場所」こそ
人のこころの内にある

小林健二
(案内状に書かれた文)

小林健二展覧会

小林健二展覧会

夢という奇蹟

[somnium]とは物質の一種でありながら全く物性を持たないという矛盾律も兼ね備えています。
分子式ではO4で表わされる酸素の同素体で、O2である酸素が紫外線の影響によってO3 (Ozone)となるように、そのオゾンより特異点的変化によって生成されるのです。
気体でありながら結晶性であり、そのもの自体は大気よりも希薄であり地球の遥か上方を薄氷のように、あるいは
消えかかる寸前のしゃぼん玉のように漂っています。
オゾンよりソムニュームへの移行過程で重用な作用を及ぼすのが 生命体による精神的影響であります。
ですからソムニュームは生命現象の存在している天体上に発生するのです。近頃、ソムニュームにおける気晶は銀河の内に16
以上発見されていることから、その数に準じた有意識生命現象が存在し得ると考えられます。
およそ最大6nm(ナノメートル)のソムニューム気晶層は気圏外に存在するために大気等の影響を受けずに成長しますが、夜が天体を支配する領域において紫外線の減少による変生作用によって、一部分解され地上に放射されていると考えられます。
また、それらは流星群や地上より宇宙圏へと行ききする人工飛行体等によっても細粒となり、透明隕石として降り注ぎ人体を通
過するときにそれぞれのないはずの記憶までを再生させるのです。
私たちは時折風景の中で突然知らない景色や思い出と巡り合うことがあります。
それらはまるでキレギレとなって舞う雲のように、あるいは花よりい出くる香や知らない言葉、出合うはずの誰かへの切ない気持のようにそれらが心の中でゆっくりと再生されるのです。
とりわけ大気上方の世界が流星群などと出合った夜など、多くの人のこころの中にそれらは現れることもあり、それが自身の体験とは由来なき上方よりもたらされた夢という一つの奇蹟となるのです。 

小林健二
(案内状に書かれた文)

小林健二個展

小林健二個展

小林健二展覧会


小林健二展覧会

ある秋の夕刻、夏の余韻を感じて涼もうと散歩に出かける。
そして見慣れた場所をいつものように通り過ぎようとして、ふと不思議な看板を目にしたら… 

子供の頃の好奇心のように覗いてみたくなりませんか?
そんな空間をこころみました。

流星は彗星よりもたらされたかも知れない宇宙の塵が、地球の大気に触れて発光する現象です。
それはそれほど長くは光りません。
そうまさに、この場所もいずれには消えてしまいます。その流星の名の付いた飲料水が体内を通り抜けると想像しながら、まるで幻のようだと思ってください。

(案内状に書かれた文)

小林健二個展

銀色のことば

その夜明けには 銀色のことばを知る 妖精たちが訪い来る

地類の神々より 遥かに透質へと近づく故に 妙なる音価をよみ上げてゆく

明白をさらに軽やかに 清涼を美事(みごと)穏やかに

怪伝の園は常世の水面(みなも) ひるがえる波波迦や甘藻 淑(しと)やかに

ウレシ ハラシ ウレシ ハラシと 妖精の国

 

妖精・目に見ることのできない超自然的存在と個別の精霊からなる一団を示すことば。彼らのすみかは森林や丘、砂漠、道、水中、風の中等ともいわれるが、確証はない。
訪(おとな)う・おとずれること
地類(ぢるい)・地上の世界(人間の造った世)
妙(たえ)・不思議なまでにすぐれているさまでいながら、人知でははかりしれないさま。
音価(おんか)・その音のもっている魅力のようなもの
怪伝(けでん)・見ることができない伝説のこと
常世(とこよ)・永久不変なるさま。死後の世界
波並迦(ははか)・ウワミズザクラの古名
甘藻(あまも)・別名リュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ、竜宮の乙姫の元結の切りはずし(最も長い植物名をもつリボン状の藻の一種)


小林健二
(案内状に書かれた文)

小林健二展覧会

小林健二展覧会

地球に咲くものたち

喧噪も届かない遥かな場所、静かで何万年も変わることのない秘密の晶洞。 そんなところで鉱質の結晶たちは安らいでいるのです。この至純な眠りの 国では絶え間なく美しい夢が紡がれ、まるで目には見えない不思議な情報 に促されるように彼らはその姿を現わしてゆくのです。 この成功も失敗もない世界に於いてはまた、争うことも競いあう必要もあ りません。ただ、この宇宙に流れている秩序の方向にその存在の軸を一つ にしているのです。迷いやためらいもない穏やかな時間の中で夢を見続け る、それが彼らをまた祝福しているかのようです。地質学的堆積の範囲を 越えて、この地球の意識が発芽して花を待つような、いじらしくも壮大な この一連の素敵な事実はまさにこの星、地球に咲くものたちを創ったので はないでしょうか。

この小さな冊子に於ける私の期待は、鉱物とその仲間たちの姿を通して人 の世に生きる皆さんが何かを見つけてくれるのではないかという事です。 そしてそれは鉱物学や結晶工学の話しではなく、また尖鋭的でも奇抜でも ないあたりまえの方向の事としてなのです。この彼らの営みはイオンのレ ベルの緻密なものでありながらも、有機的に見えゆるがせなものを感じさ せ、天然の力を受けとめているその光りは、自信というよりは遥かに静か で確かな輝きを持ってはいないでしょうか。たおやかで静謐なその世界に 触れるとき、いかなるものとも共和できる宇宙の資質を感じ、また私たち の心の深いところに潜んでいる善意の流れと源を同じくしているのではな いかと感じたりするのです。

鉱物の結晶を見ているとまったく同じものに出合うことはありません。 それは私たち人間がまさにそうなようにです。でも共にその背景には見え ざる共通の願いがあるような気がしてなりません。 この冊子を手にとってくれた皆さんに私が届けたい言葉があるとしたら、 それはきっとこんな事なのです。鉱物たちだけではない、あまねく命の結 晶とともにあなたは今、この地球に咲いているのです。                             

小林健二
(図録[地球に咲くものたち]の文)

小林健二個展

小林健二個展

薄荷の学説-Mint Theory-

ここは深い森の中 知らない子供たちがみたこともない儀式をしている
しかし それはうまくいかないで結果的に二人の子供の たましいはこの世からはなれていく
他の子供たちはいつのまにかそれぞれに去り やがてすべて誰もいなくなってしまうと 青い夢のような気配があたりを包んで まちうける風景は鮮明となる
霧の中より析出するのは 緑の色の結晶で静かなミントの香がする
遠方では巨大な滝が透きとおった水蒸気を かけ離れた量で発生させ 三つの方向から流れくる
銀の笛の調べは穏やかで ところどころが浅い紫をあしらっている
鳥たちも見まもっている
やがてこの一連は集合して 一つの学説となる

小林健二
(案内状に書かれた文)

小林健二個展

小林健二個展小林健二個展

on-a-night from Kenji Channel on Vimeo.

15才のときの出来事  

「ひかりさえ眠る夜に」という言葉は、高校1年の頃の原稿用紙やノートに書いた童話っぽい物語から、タイトルをそのまま使ったものです。その文章を書いたきっかけと言えば当時見た「夢?」あるいは白昼夢のような一連の幻によるもので、しかしそれは夢と言ってもいつも浅い眠りの時に見るものとは大きく異なっていて、ぼくを驚かせ、印象的で、子供の頃から惹きつけられてきたすべての要素を持っていました。  

(中略)

子供の時から絵を描く事は好きではあっても怪物やジョウロのようなへんてこなものしか描かない人間が、できるならずぅっと絵を描いていたい、そして宇宙や星の涯にある世界の事を考えたり、あるいはまだ巡り会えないでいる誰かや何処かのことを想い続けて手紙を書くような、そんな途方もないことをやり続けたいと勝手に確信してしまったのです。まさにそれほどその「夢?」はぼくにとってすばらしく、また美しかったのです。  

ぼくは時々「夢見がちな人」というような評価を受けることがありますが、それはどうなのだろうと思いもします。なぜなら絵を描いたり、造形作品を作ることは思いのほか現実的です。技術的にも時には経済的にも時間的にも、あらゆる面に於いて生々しい壁は立ちはだかるものだからです。  でも、ぼくはこの仕事を通し子供の時からの内省的な自己を、外の世界と交通させたいと願ったわけですから、確かに「夢見がち」なのかも知れません。  人間にはもともと「本当の事」を探し続けようとする一種の特性のようなものがあって、それはまた人間の本質的なところでもあるとぼくには思えることがあります。でもそれによって人が担う事もたくさんあるのでしょう。

(中略) 

それこそ「ひかり」のもと居た場所までは、まだまだ遠いところであったとしても、そんな探すべき何かを知った子供たちや大人たちが地球人であったとしたら、それは遠メガネみたいに小さなものでも無数に集まれば巨大な望遠鏡となるように、まるで色とりどりの花々が空を見上げているように思えるでしょう。  宇宙は広く果てしなくても、きっと人間は孤独ではなく、友人たちはお互いに探し合っていていつか出会える筈だからです。 宇宙がそれぞれを発見し合い、それぞれの多くの謎を解き明かし連帯し合い、不変で永遠な最も安らいだもと居た場所へと還ってゆくようになったとしたら、それはとても素敵なことに思えるのです。  
あの15才から30年以上経った今でさえ、偶然に出会った一連の夢のような出来事から与えられた記憶の方が、少しも色褪せる事もなく日々生活している日常より遥かに生き生きとしていて、表しきれない「本当の世界」のような気がしてならないのです。                           

小林健二
(図録[ひかりさえ眠る夜に]に掲載された文)

小林健二個展

TINY NIGHTS

夜 果てしなく不可視な静寂な大陸 陽が遠ざかり 影のたそかれの宵に浮かび上がる それらはとても小さな夢の中の出来事によって構成され また 多数の幻によって彩られている 確かと不確かなものたちは はかり知れない方法で作用して 睡眠という ありふれた事実によって 「ちいさな夜たち」 という不明な物語に出合うのだ 透明な夜に幾度も抱かれて 白亜紀からの思い出さえ やがて薄明な夜明けのときを予告するまで この無限の大気層にも似ている 接触変性相によって生じた 物語の断片に堆積しつづける そんな彼らの結晶の夜は きっと「TINY NIGHTS」と呼ばれている                     

小林健二
(案内状に書かれた文)

小林健二個展

小林健二個展小林健二個展

液体空気のような魔法が彼方まで澄み渡っている 未だ遠く「婚礼」という名の未知の星からときおり幻は交通してくる 人魚のようなくらし 揮発性のまなざし どうしたのだろう あれから一年が経つというのに 現は夢へと そして夢は現へと 銀色の過去の歴史を永遠の湖に深く沈め ぼくらは雑踏の中でも目を瞑ればその場所を思い出せる 幾千の事実と幾億の夜とが結合し  姿を現す遥かな神秘の風景 それらへと続く明滅する星雲を従えた蒼い寝台 ゆっくりとその方向を指指している水先案内の鶇に似ている生命体は もう二度とここへは戻れないことを知っている 結晶化し 変化して 成長するゆるやかに回転している巨大な船体 それらは何物からも強いられることもなしに 固有のありさまを形成してゆく 塩基の日記へ 酸性の言語によって記された想いの原形 そこでぼくらは違う姿で、もう一度巡り逢う

小林健二
本[PROXIMA]より抜粋

小林健二個展

小林健二個展

Inner scapes

ぼくは子供の頃からどうゆう訳かラッパみたいだったり管のあるものや、透きとおっていて内容がうつろなもの等に魅かれる事が多くて、よく絵にも描いたりしていました。どこかぼくの心の深いところで、どのようにかそれらと繋がっているのかも知れませんが、本人にはよくわかりません。しかしそんな訳で、ぼくはクラゲの仲間や双子植物のトラパリンネやキラリヤ種の菌類、そして腔腸動物のトレマディクチオンなどが好きなのです。                           

小林健二
(案内状に書かれた文)

小林健二個展

小林健二個展

CASCADE OF CEPHEIDS

夢の中でぼくはよく湖にでかけます。そこではぼくは誰もがするように湖畔などを歩きめぐるのです。そんなときの湖畔はとても透質で現地の地質学では硝子湖沼の一種とされ、鉱床学的には水精岩(すいせいがん)が多く産出し、それはまた妖晶鉱石として大切なものなのです。そんな湖に流れ込み降りそそぐ小さな滝はセファイドの水です。遥か希いをはらんで変光星からやってきたのです。                

小林健二
(案内状に書かれた文)

2017-2000

1999-1990

小林健二個展

小林健二個展

小林健二個展

小林健二作品

小林健二個展

小林健二個展

小林健二個展

小林健二個展

小林健二個展

小林健二個展

小林健二個展  

小林健二個展

小林健二個展

小林健二個展

[EXPERIMENT1]そのタイトルが示すように、この実験的展覧会では自作の多重焦点プレパラートを自由に顕微鏡で 覗き込むことができ、焦点をずらすことによって極微の世界が重なりあい、また鮮明に現れながら姿を変えていく。 壁面にはピンクの光源をバックに自作プレパラートを展示。

小林健二個展

小林健二個展

小林健二展覧会

5会場で、ほぼ同時期に開催された個展では、総合案内状+図録が、ギャラリー合同により製作される。 小林健二はこの会期中限定で、受注製作による作品を製作しております。

小林健二個展

小林健二個展

そこには20の透明な容器が整然と並べられ、その中に水滴が自動的に滴り落ちるような装置になっている。その中で何かが生きているのだ。 与えられた水分はどうやら乾燥を防ぐためのもので、培地の中で粘菌やボルボックスといったものの生命現象が一月の間繰り広げられた。 補食するもの、されるものの共存がうまく成り立てば、生体系として完成されるという実験的なその装置は、1つのコスモスをなしているようだ。

小林健二個展

小林健二個展

小林健二個展

小林健二個展

夜と息

実は、一九八六年八月に浅草橋のビルの一室において、友人二人と共に他には誰に も知らされることのない展覧会として「夜と息」と題されたそれは行われました。 まるでそれは真剣な密室での儀式のようでありました。その過程すらどうなるか、 はらはらの実験のようでもありました。それは、あまりに強い短かな時間の中での ことでありましたので、再現することは不可能であるばかりか、無意味であると 思い、今回はその時に朧と海水によって封じ込められたエスキースのうち一枚より 風景を想像してみました。とりとめもありませんが、このようなことは毎年行って おりました。

小林健二
(案内状に書かれた文)

小林健二展覧会

小林健二展覧会小林健二展覧会

時として死への恐怖は、それを逃れたいと思う人の心を過剰な資財や権力の執着へと引き入れることがある。確かに誰にも等しく肉体は死をむかれる時がくる。 でも本当にそれがその人にとってすべての終わりになるのだろうか? 幼い頃から病気になるときまってみる夢?があった。 そこで出会う風景やものはいつもやさしく穏やかだった。 そしてそれはぼくにとってもう一つの事実だった。

小林健二
(展覧会図録より)

小林健二個展

小林健二個展小林健二個展

小林健二個展

小林健二個展

Edited by ATELIER AO/ All rigths reserved by KENJI KOBAYASHI+ATELIER AO